クラシックの再生

消された流派の復活

 その理由は何よりもポピュラー音楽が商業音楽として、演奏面に於いても経営的に成功しているからです。更にはポピュラー音楽は、何よりも演奏活動で莫大な利益を得る、限りない可能性を秘めた分野です。この現象こそがポピュラー音楽に、音楽の生命力が乗り移った確かな証拠でしょう。

 

とは言え、ここで名を上げるのは並大抵な事ではありません。「厳しい世界ではあるけれども、当たればデカい」と語られる程、貧富の差の激しい過酷な世界だからです。でも少なくともポピュラーの場合、成功すると巨大な富を手にする可能性がある、その夢に向かって努力する事は出来るのです。

 

クラシックの様に奇跡的に成功したところで、経営的に何とか生きて行けるだろう、という状況とはレヴェルが違うのです。即ち、その演奏に於ける経済力の落ち込みこそが、クラシックがポピュラーに生命力を譲り渡して、半分死んだ証に他なりません。

 

 皆さんも着うたフルで、ポピュラーとクラシックを聴き比べて下さい。ポピュラーにある振幅の大きな抑揚が、クラシックには殆ど無いと思われませんか?

 

 従って、クラシックの形骸化の記事の中で、筆者は「クラシックを殺した張本人は、対比の効果を否定した平坦な奏法である」と述べました。言い換えれば「クラシックに生命を与えていた秘密が、波打つ奏法に備わる対比の効果であった」からです。何故なら「同質の物を並べるのではなく、異質の物を隣り合わせるのが、生命力を産み出す秘訣であった」からです。

 

従って、現在のクラシックを再生させる為には、19世紀に消された波打つ奏法の流派を復活させるしか道はありません。

 

勿論、その道は険しさを極めます。何故でしょうか?

 

 

記者:ヒビキ カオル(響 馨)


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