愚かなクラシック

平らな方に矯正する?

 現在盛んなクラシックコンクールは、「平らな奏法が正しい」との基準に則して開催されています。仮に、波打つ奏法の才能溢れる演奏家が登場すれば、審査員達が「品がない」等の的外れな批評を浴びせて、指導すると称して初歩的な表現に矯正するのが実態です。

 

従って、クラシック演奏家で本当に才能のある人は、稀にコンクール入賞者であってもその中には何時までも残れず、叩き出されてポピュラーの世界に逃げ出しているのが現実です。勿論、逃げ出すと言っても、ポピュラーに転向するのではなく、ポピュラーの市場でクラシックを演奏する訳です。

 

当然の事ながら、こうした逃げ出した人を指して、クラシック関係者は厳めしい言葉で批判をします。然しながら、その正体が実は嫉妬心である事を、ある程度の社会経験のある人なら、即座に見抜くに違いないのです。

 

何故、嫉妬心なのか、それはクラシックの世界では殆ど全員が、プロの演奏家を目指すのに実現せず、仕方なく教師をしているからです。

 

従って、稀に商業音楽の世界でも通用する演奏家が出現すると、教育音楽の方の演奏家でしかない人は、それは徹底的に酷評を浴びせます。従って若い人であれば、「○○先生があそこまで仰るのだから、あの○○という演奏家はやはり酷いのだ」と影響されます。

 

然しながら、ある程度の年齢の人であれば、その言動が嫉妬心に基づく事を、たちどころに見抜くに違いないのです。何故なら、言われる演奏家と言う演奏家、各自が置かれた立場を比較すれば、言われている演奏家の方がプロで通用し、言う演奏家の方はアマでしかない、その落差が一目瞭然で分かるからです。

 

 皆さんも着うたのダウンロードにクラシックも加えて、その演奏が平型か波打ち型か聴き分けてみられては如何でしょうか?

 

 

記者:ヒビキ カオル(響 馨)


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